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大正12年、旭座として開館
地元原町の有志(旦那衆12人)が「旭座組合」を設立し、工事費1万3千円で関東大震災が発生した1923年(大正12年)7月2日に芝居小屋・常設活動・写真小屋として開館しました(旭座組合長:日下庄吉、工事請負人:関場清松)。
その当時は升席で花道があり桟敷もありました。開館時には坂東勝三郎、中村翫十郎の一座により「旭座舞台開き」が行われています。
地方回りの芝居も上演されましたが、映画常設という時代の最先端をいく小屋で多くの無声映画が上映されました。多くの町民が映画・芝居へと足を向け、大衆娯楽の殿堂として賑わいました。
戦後
戦後は映画全盛の時代になり、1952年(昭和27年)「朝日座」と改名、映画の常設館となりました。
布川氏個人の経営になったのもこの時で、桟敷席も椅子席に変わりました。
観客数も一時(昭和35~6年頃)は市民一人当たり5.2回の入場を数えましたが、テレビ放映等の影響により昭和37年から減り始め、38年には年間一人当たり3回と急落しました。
その後、観客は横ばいになり、ビデオデッキの普及やレンタルビデオショップの増加などにより、更に減り続けました。
平成3年の閉館とその後
1991年(平成3年)5月に朝日座開館70周年記念として「ニュー・シネマ・パラダイス」が上映されるなどしましたが、同年9月「シザーハンズ」「ホーム・アローン」の上映を最後に惜しまれつつ閉館となりました。
その後は他市の興業主により、年に数回のアニメ映画が上映されています。
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